大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2681号 判決

控訴人

右指定代理人

斎藤健

外三名

被控訴人

河野光代

外一名

訴訟代理人

大野正男

大橋堅固

山川洋一郎

西垣道夫

主文

原判決を取消す。

被控訴人両名の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人両名の負担とする。

事実

(申立)

控訴人 主文同旨の判決を求める。

被控訴人ら いずれも控訴棄却の判決を求める。

(主張および証拠)

当事者双方の主張および証拠関係は、左のとおり補うほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

控訴人

一、別紙(乙)記載のとおり主張する。

二、〈証拠関係―略〉

被控訴人ら

一、別紙(甲)記載のとおり主張する。

二、〈証拠関係―略〉

理由

一、原審での被控訴人河野光代の本人尋問の結果によると、被控訴人河野光代は昭和三八年四月ごろ、台湾から勉学のため来日し東京教育大学に学んでいた柳文卿と知り合い、同人と交際を続け、両親の承諾のもとに、昭和三九年秋ごろから内縁関係に入り、昭和四二年一二月二〇日両名の間に被控訴人河野高雄が出生し、同人は柳文卿の認知を受けるに至らなかつたが、被控訴人らと柳文卿とは、同人が昭和四三年三月二七日後記のとおり台湾に強制送還されるまで、被控訴人らの当時の住所地東京都三鷹市中原四丁目二四番二号等で夫婦親子として愛情のある平和な家庭生活を送つていたことが認められ、これに反する証拠はない。

そして、柳文卿が昭和一〇年一月一八日台湾に生れ、台湾師範大学を卒業後、昭和三七年体育学の勉学のため、わが国に正規のパスポートを所持して入国、同年四月東京教育大学に入学し、勉学を続けて、同四二年三月修士課程を了したものであり、柳文卿の右パスポートは昭和四〇年四月に有効期限が切れたが、同人は更新を求めず、昭和四三年三月二六日にいたつたところ、同日午後四時ごろ仮放免更新手続のため東京入国管理事務所に出頭した同人に対し、同所長猿渡孝が退去強制令書を発付し、飯塚看守長が直ちにこれを執行して柳文卿を横浜入国者収容所に収容したうえ、翌二七日午前九時四〇分羽田空港発の航空機に乗せて同人を台湾へ強制送還した事実は当事者間に争いがない。

二、被控訴人らは、まず、柳文卿に対する右退去強制令書の発付処分が、

政治犯罪人不引渡の国際慣習法ないし逃亡犯罪人引渡法(昭和三九年法律第八六号による改正後のもの)第二条第一、二号に違反してなされたものであると主張する。

ところで、退去強制処分と犯罪人の引渡とは、ゆらい、別箇の処分であることはいうをまたないが、本件全資料に徴しても、柳文卿に対する本件退去強制処分が、これに託して、同人を政治犯罪人として中華民国に引渡す目的をもつて―送還先を台湾と指定し―なされたものとは、とうてい認め難い(なお、出入国管理令第五三条参照。)。

そこで、なお考究するに、

(一)、〈証拠〉をあわせて考えると、次のとおり認めるのが相当である。

1、犯罪人引渡の制度は、一般国際法としては、いまだ確立したものとは、いい難い。犯罪人引渡は、国内法または個別的条約の定めるところに従つて実施されており、必ずしも文明国に認められた法の一般原則とは称しえない。

2、政治犯罪人不引渡の原則は、自由と人道に基づく国際通誼ないし国際慣行であつて、いまだ確立した一般的な国際慣習法であるとはいえない。従つて、憲法第九八条第二項所定の確立された国際法規とはいえない。(もつとも政治犯罪人たる理由でその引渡が拒否されたとき、これを非友誼行為と考えないという慣習法が成立しているとはいえる)。そして、このことは、いわゆる純粋の政治犯罪によるものと否とにかかわらない。

ただ、相当多数の国の憲法その他の国内法は、政治犯罪人不引渡を定めていて、その限りでは、それがその国の国内法として確立しているといえる。

なお、ふえんすると、

(1)  政治犯罪人不引渡の原則は、ゆらい、一面において自由と博愛を擁護しようとする道義的な動機から出発しているが、他面において進歩的勢力の増強をはかろうとする政治的意図にもとづくことも深かつた。さらにいえば、それは、自由と平等を基調とする民主国家の利益のために主張されてきたもので必ずしも個人的な人権擁護のためのみから行なわれてきたものではない(そしてそれぞれの各国の意図ももとより一様ではない。)。

(2)  政治犯罪人不引渡の原則は文明国の一般的慣行であり、いわゆる純粋の政治犯罪人については、条約でも慣行でも引渡をしないことに一致しているようであるけれども、厳密にいえば、不引渡の国際法上の義務があるわけではない。すなわち、政治犯罪人の不引渡の原則は「人道的な権利の要請」にとどまつており、いまだ「法的な義務の要請」にまで高まつてはいない。

(3)  ちなみに、いわゆる政治的難民をその意思に反して本国に送還してならないこと―権利らん用となる場合を別として―も、国際慣習法として確立するまでに至つていない。

(4)  人権に関する世界宣言(第一四条)―および国際連合憲章―は、法的拘束力を有しない。

(5)  かくて、国際法上は、政治犯罪人に対しても当該国家の秩序、公共の福祉を理由として、その滞在を拒否し、追放を命ずることができるのみならず政治犯罪人をその本国に引渡すことすら必要あれば、国家の自由であるといわなければならない。もとより道義よりみれば、国家の不信義の問題を生ずることがありえても、この場合の政治犯罪人引渡を国際法上違法とはいい難い。

(一九三五年アメリカの国際法学者が共同研究の結果作成したハーバート法典案の逃亡犯罪人引渡の部において、その第五条が、「被請求国は……〔政治犯〕の引渡を拒絶することができる。」旨規定していることおよび右の規定が許容的な規定の形式を取つていることの説明として「国家がもし選ぶときには国家は政治犯罪の故に請求される人間の引渡をなぜ妨げられなくてはならないか、その理由はない」、「若干の国が、緊密な結合関係にあるために、或はお互の政治制度が同一性をもつているために、政治犯罪の引渡を望ましいと考えることは、充分にあるだろう」、「被請求国の見解の何たるかに関係なく政治犯罪を理由とする引渡は決して許されないとする一般に承認された国際法規は存在しない」と述べていることも、政治制度を異にし或は同じくする諸国が互いに対立共存して混在する国際社会の現段階では特に注目される。)

以上述べたところと所見を異にする前記〈証拠〉は、たやすく、採用することができず、他に右認定を動かすに足りる資料はない

(二)1、次に、現行の逃亡犯罪人引渡法第二条第一、二号は、「一、引渡犯罪が政治犯罪であるとき。二、引渡の請求が、逃亡犯罪人の犯した政治犯罪について審判し、又は刑罰を執行する目的でなされたものと認められるとき。」は「逃亡犯罪人を引き渡してはならない。」と規定する(国内法的に、国の政治犯罪人不引渡義務を認めたものと解される。〈証拠〉参照。なお、乙第九、一〇号証は右規定を訓示規定と解している。)。

2、しかし、同法第一条は、『この法律において「請求国」とは、日本国に対して犯罪人の引渡しを請求した外国をいう。』(第二項)、『この法律において「引渡犯罪」とは、請求国からの犯罪人の引渡しの請求において当該犯罪人が犯したとする犯罪をいう。』(第三項)、また『この法律において「逃亡犯罪人」とは、引渡犯罪について請求国の刑事に関する手続が行なわれた者をいう。』(第四項)と定める。

3 してみると、同法第二条第一、二号を適用し国の政治犯罪人不引渡義務を認めるに当つては、当該外国(請求国)で当該犯罪(引渡犯罪)について刑事に関する手続が行なわれていることおよびその外国から日本国に対しその犯罪人の引渡請求があることが、法律の定める不可欠の要件というべく、たやすく、その拡張解釈や類推解釈により国の政治犯罪人不引渡義務を拡げることが許されないことは、この法律が、わが国との間に犯罪人引渡条約を締結している外国から同条約に基づいて犯罪人の引渡請求があつた場合および犯罪人引渡条約を締結していない外国から引渡条約に基づかないで引渡請求があつた場合の国内法的措置を規定するため制定されている、というこの法律の性格からいつて、当然といわなければならない。

4、ところで、本件において、柳文卿について、中華民国で、被控訴人主張の犯罪につき刑事手続が行なわれたり、同国から日本国に対しその犯罪人として柳文卿の引渡請求があつたことを認めるに足りる証拠はない。

この点につき、

(1) 被控訴人らは、柳文卿は日本国内でなした台湾独立運動が中華民国において懲治叛乱条例に違反することは明らかであり、右条例違反の国外犯として柳が台湾において処罰されることは確実である。そして逃亡犯罪人引渡法第二条第一、二号の規定の趣旨は、政治犯罪人は引渡し要求があつた場合でも引渡してはならないというところにあり、同法違反の問題は、この不引渡しの原則に反したか否かにあるのであるから、当該政治犯罪人が「請求国の刑事に関する手続が行なわれた者」であるか否かは、引渡し義務を負う場合の要件にすぎず、実質的に政治犯罪人としての処罰が確実である限り、同法第二条第一、二号に規定する不引渡の義務の要件ではないと主張し、前記乙第一四号証や当審証人高野雄一の証言もこれにそうかのようであるが、前段説示するところから明らかなように、右主張にはたやすく左袒し難い。これについて、柳文卿が被控訴人ら主張の政治犯罪を犯し本国で処罰されるべき確実性があるか否かというような事実は、ことさら、これを認定するまでもないところである。のみならず、本件にあらわれた全証拠資料によつても、そのような確実性があるという事実を認めるに足りない。

(2) また、被控訴人らは、柳文卿に対する本件退去強制処分は、中華民国政府からの政治犯罪人引渡要求すなわち、それは正規の外交機関を通じての「引渡し請求」ではないが、その実質においては、まさに「引渡し請求」というべきものがあつて、これに対し、日本国政府が、国府側の刑事犯の引取りをスムースにするためという配慮から、その応諾としてなしたものである旨、原審証人中川進(当時の法務省入国管理局長)の証言を引用して、るる主張するが、同証言によつても、中華民国政府から日本国政府に対し、柳文卿の犯罪人引渡請求がなされたものと認めることはできない―右証言内容はいわゆる台湾独立運動者を含めすべての中国人被退去強制者の送還の問題として述べられているのみである―から、実質上「引渡し請求」がなされ、これに対し実質上その引渡しがなされたとはいいえない。従つて、被控訴人らの主張は当らないものといわなければならない。

なお、〈証拠〉によると、柳文卿が送還された際台北空港に駐日国府大使がこれを出迎えたことが認められる(この認定に反する証拠はない。)が、右各証言の全趣旨に徴すると、右事実は、直ちに、被控訴人らの主張を裏書きするものとは認め難い。

さらに、被控訴人らは、実質上、政治犯罪人について引渡し要求がなされ、これに対し、実質上その引渡しがなされるとすれば、―前記、刑事に関する手続の要否の問題におけると軌を一にし―逃亡犯罪人引渡法に定める引渡手続があつたか否かにかかわらず、同法第二条第一、二号に違反する旨主張し、前記乙第一四号証や当審証人高野雄一の証言は、また、これにそうかのようであるが、前提事実が認められないことは既に説明したところであるから、右主張はその前提を欠くのみならず、同法を不当に拡張解釈するものというほかないことは、前記説示するところからも明らかであり、たやすく左袒することはできない。

(三)  そうすると、他に格別の主張立証がないかぎり、柳文卿に対する本件退去強制令書の発付処分は、国際法の面からいつても、国内法の面からいつても、すべて適法のものというべきである。

三、次に、柳文卿に対する退去強制令書の執行の適否について考えるに、柳文卿が昭和四三年三月二六日午後四時ごろ仮放免更新手続のため、東京入国管理事務所に出頭したところ、同所長猿渡孝が退去強制令書を発付し、飯塚看守長が直ちにこれを執行して柳文卿を横浜入国収容所に収容したうえ、翌二七日午前九時四〇分羽田空港発の航空機に乗せて同人を台湾へ強制送還したことは前示のとおりであり、弁護士大野正男、同山川洋一郎らが夜を徹して柳文卿に対する退去強制令書発付処分取消しの訴えとその執行停止申請をなすべく準備にあたり、同年三月二七日午前八時に東京地方裁判所に右本案訴訟を提起し(同庁昭和四三年(行ウ)第五六号)あわせて執行停止の申立をなし(同庁昭和四三年(行ク)第七号)(柳文卿が果して大野弁護士らに訴訟委任をしたか否かについては当事者間に争いがあるが、この点はこれを措く。)直ちに法務省入国管理局長、同局次長および同省訟務局長に対し電話でその旨伝え、裁判所の執行停止申立について判断が示されるまで柳文卿の強制送還を待つて欲しい旨要請し、同日午前九時過ぎごろには右事件の係属した同庁民事第二部書記官からも、右訴えの提起と執行停止の申立がなされた旨東京入国管理事務所総務課長に電話連絡がなされたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、柳文卿は、前示のとおり、昭和四〇年四月にパスポートの有効期限が切れて後は毎月一回所在確認を受けるため東京入国管理事務所に出頭し、いわゆる仮放免の更新を繰り返すことによつてわが国に在留していたものであるので、法務省入国管理局としては柳文卿を台湾(本国)に強制送還することとし、同人から法務大臣に出されていた異議の申出(特別在留許可申請)につき、昭和四三年二月一二日同局内の裁決委員会において、同人がわが国に在留する目的は既に達せられたとの理由でこれを棄却すべき旨決し、法務大臣が右同様の裁決をなしたこと、なお、柳文卿は自己のなした台湾独立運動により強制送還されれば処罰を受けるという申立をしていたのであるが、当局は、駐日中華民国大使館を通じての折衝により同人は台湾において処罰を受けないという判断に立つて強制送還を実施することにしたこと、右法務大臣の裁決は、前示のとおり柳文卿が昭和四三年三月二六日午後四時ごろ仮放免更新手続のため東京入国管理事務所に出頭したとき告知されたこと、柳文卿の保証人となつていた台湾青年独立連盟委員長の辜寛敏は同六時過ぎごろ柳文卿が退去強制令書を発付され収容された旨の連絡を受けると直ちに柳文卿との面会を求めたが、時間外であるとの理由でそれを拒否されたことから、事態の異常なことを感じ、同日午後八時ごろ法務省入国管理局長宅を訪れ柳文卿に対する退去強制令書の発付処分につき裁判所にその執行停止の申立てをなすので、それについての裁判がなされるまでの間、せめて一日だけでも送還を待つて欲しい旨懇請したが容れられなかつたことが認められ、右認定の妨げとなる証拠はない。

被控訴人らは、退去強制令書の執行は東京地方裁判所においてその執行停止命令がなされることを回避する意図のもとに、同人の裁判を受ける権利を奪うためになされたものであり、かつその権利を侵害するものであると主張するが、本件に現われた全証拠によるもこれを確認することができず、却て〈証拠〉および弁論の全趣旨によれば、法務省入国管理局の幹部間においては、これまで控訴人主張れの二、三の退去強制令書の執行事件において、控訴人主張の東京入国管理事務所前での台湾青年独立連盟員による約一週間にわたる坐り込み、ハンスト等の異常な事態、強制送還のため収容された中国人らの自殺、ハンストによる自損行為等の事故が生じたので、本件退去強制令書の執行にあたつては、先ずこれらの事故を防止し収容中の柳文卿の生命、身体の安全をはかり、無事送還するための方策が検討され、同年二月中旬ごろ、前記裁決の告知をした翌日直ちに柳文卿を送還することにする旨の協議がなされていたが、中華民国との折衝が完了していないため、具体的にその日時が決定していなかつたので、同月二六日柳文卿が仮放免の更新手続のため東京入国管理事務所に出頭した際には、右裁決の告知も柳文卿の収容もしなかつたこと、そして翌三月一〇日過ぎごろにいたり、同局幹部間において、柳文卿が仮放免の更新手続のため入国管理事務所に出頭する予定の同月二六日に右裁決を告知し、直ちに同人を収容して、翌二七日午前九時四〇分羽田空港発の航空機に乗せて同人を台湾に強制送還する旨決し、これを駐日中華民国大使館に連絡する等その準備を進め、同月二三日ごろになつてはじめて右入国管理事務所にその旨伝えるに至つたこと、以上のような協議の過程において法務省入国管理局の幹部間においては以前柳文卿と同じく台湾青年独立連盟員であつた張栄魁および林啓旭を強制送還しようとした際東京地方裁判所において送還の執行停止がなされた事例についても考慮されたけれども、送還実施のだんどりが前記のように異例といえるほど慎重に協議決定されたのは同裁判所において執行停止命令がなされることを回避する意図のもとに、同人の裁判を受ける権利を奪うためになされたものではなく、あくまでも同人の生命、身体の安全をはかることを主眼とし送還を円滑迅速に実施することを考慮した結果によるものであることが認められる。

ところで、わが国に在留している外国人は、日本国民と同じく憲法第三二条により裁判所において裁判を受ける権利を保障されるものと解すべく、違法な退去強制処分により自己の権利、利益を侵害されたと主張する外国人は憲法第三二条によりわが国の裁判所に対し司法的救済を求めて出訴する権利を有することは当然である。従つて、当該外国人は、行政事件訴訟法の定めるところにより、当該退去強制処分の取消しの訴えを提起し、これに附随してその執行停止の申立をすることができる。しかし、行政事件訴訟法第二五条第一項は「処分の取消しの訴えの提起は、処分の効力、処分の執行又は手続の続行を妨げない。」と規定しており、―この規定と同条第二、第三項の規定とを対比して考察すると、―当該外国人は前記権利を行使し裁判所に出訴したからといつて、それだけでは直ちに、当該行政庁は裁判所の判断を受けるため裁判があるまで強制処分に基づく執行を差し控える法律上の義務はない。従つて、当該外国人の申立による裁判所の執行停止決定があるまでは退去強制処分に基づく執行を妨げられないものというべく、その結果裁判所の執行決定がなされる前に執行が終了し、右申立がその利益を欠くにいたり申立却下の裁判を受くるに至つたとしても、当該外国人は執行により憲法第三二条により保障された権利を奪われたということはできない。蓋し、憲法第三二条は裁判所による裁判を受ける権利すなわち出訴権―本件の場合処分取消しの訴を提起し、かつ執行停止の申立をし、その当否についての裁判を受ける権利―を保障したに過ぎず、出訴者に有利な裁判―本件の場合執行停止の決定、処分取消しの判決―を受ける権利までも保障したものではないからである。また、前記執行が憲法第三一条にも違反しないことは多言を要しない。しよせん、被控訴人らの主張は採用することができない。

(なお、附言するに、被控訴人らは柳文卿に対する右退去強制令書の執行は、同人の裁判を受ける権利を侵害するものであり、右権利侵害がなければ執行停止決定等の司法的救済により、すくなくとも、本案判決確定までは、被控訴人らは、柳文卿と離別せずにすんだという点において右令書の執行は違法であると主張するが、同令書の発布処分が前記のように違法のものと認められる本件においては、右主張はそれ自体当らないものというほかはない。)

したがつて、他に格別の事情がないかぎり柳文卿に対する本件退去強制令書の執行も適法であつたというべきである。

四、以上の次第であるから、柳文卿に対する本件退去強制令書の発付処分およびその執行が違法であるとし、それによつて被控訴人らがその権利を侵害されたとして、国家賠償法にもとづき、控訴人国に対して、その損害の賠償を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないものとして棄却を免れないものといわなければならない。

よつて、右と異なり、被控訴人らの請求を認容した原判決は、これを取消すこととし、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。(久利馨 三和田大士 栗山忍)

被控訴人らの主張(甲)

第一、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行の違法性

一、(政治犯罪人不引渡の原則は国際慣習法である)

(一) 控訴人はまず、逃亡犯罪人引渡条約の圧倒的多数や憲法その他国内法令が政治犯罪人の不引渡を義務的、命令的に規定していることを一根拠にして、政治犯罪人不引渡の原則を国際慣習法であるとした原判決に対し、右の点は国際慣習法の成立を認める根拠たりえないと縷々主張する、そこで被控訴人は以下において、その主張に対し反論を加えることとする。

(1) まず控訴人は、一般に国際法上は国家の義務ではないことを憲法その他国内法令において義務とすることはままあることだから国内法令の規定から直ちに国際法の成立を認めることはできないと主張する。しかしながら逃亡犯罪人の引渡、不引渡は自由とされている国際法の下で国家が「政治犯罪人の不引渡という国際関係における義務を憲法その他国内法上で負うことは国家の国際法上の権能を自ら制約することであるから、国際社有における規範意識と無関係に自発的に行われるはずはないのであつて、多くの国が憲法その他の国内法令で殆んど例外なく政治犯罪人は「引渡してはならない」と義務的命令的に規定していることは政治犯罪人不引渡の原則が国際社会において法規範性を持つに至つていることの一つの有力な証拠であるといわなければならない。

(2) 次に控訴人は、二国間の条約において、政治犯罪人不引渡について義務的命令的な形で規定されていても、条約上一方の当事国が他方の引渡を要求する当事国に対して不引渡の義務を負うということは無意味なことであるから、その規定は、不引渡の義務を定めたものと解することはできないのであつて、単に政治犯罪人が引渡の対象にならないことを明確にした趣旨の規定にすぎないと主張する。

しかしながら、二国間の条約で、一方の当事国の負う義務が他の当事国に対するものでなければならぬという必要はない。原判決判示のとおり、国際法の場合、義務国に対応し、権利国が存在しなければならぬとする論理的必然性はないのであつて、真の権利者が人類全体や社会一般という場合がありうるのであり、この理は条約の場合においても変りはない。控訴人も、労働者保護の条約や国際人権規約等自国の管轄下の個人の人権の確保を約束するような最近の多国間の条約においては締結国間に権利国と義務国の対応関係がないから条約上国家には人権を保障する「義務」はないとまでは言わぬであろう。

控訴人が二国間の条約についてだけは別であると主張するのであれば、それは何故にであるのか全く理解できぬところである。

要するに、二国間の逃亡犯罪人引渡条約において、政治犯罪人の不引渡を単に引渡義務の例外規定に止めず、義務的、命令的に規定したのは、正に、相手国に対する不引渡という限度で、自国の管轄下の政治犯罪人を保護すべき義務を条約上負うということを認めたからにほかならない。その場合、他国による外交的保護の裏付けがない場合が多いため、保護の実効性が少いかも知れぬが、それでも国家の国際法上の義務がそこに存在することは否定できないのである。

(3) さらに控訴人は、少数ではあるにせよ、政治犯罪人の不引渡を許容的な形で規定した条約のあることは、不引渡が一般的な義務であるという慣習法の成立を妨げるものであると主張する。

しかしながら、原判決ものべているように、不引渡の規定は、それが許容的な形の規定の場合でも一般の犯罪人の引渡義務に対する例外規定としておかれているのであつて、政治犯罪について引渡義務を否定するのが主眼であり、意識的に引渡義務の例外に止める趣旨の規定ではなく、従つて少くとも不引渡の「義務」の否定でないことは確かである。そして、「不引渡の自由」を持つものが同時に不引渡を義務とする約束をもつことも論理的に不可能ではなく、むしろその自由の行使の一結果であるということは、正に原判決の判示するとおりである。

控訴人は許容的な規定の下では引渡をすることも可能だから、引渡が義務であることと矛盾すると主張するがこれが論理的に誤まりであることは原判決の右の点に関する判示部分の論理に照せば明らかであろう。

(二) 次に控訴人は、政治犯罪人不引渡が「原則」と称せられていることも国際慣習法の成立の根拠にはならないと主張する。

しかしながら、国際法上、本来一般犯罪人の引渡は国家の自由であるべきなのに、とくに政治犯罪人の不引渡が「原則」としてとらえられ、かつ条約や国内法令にまでほとんど例外なくそれが表明されていることは、単に政治犯罪人の不引渡が条約や国内法令で引渡、不引渡の自由の特則として定められていると解するより、政治犯罪人は引渡してはならないという規範が国際社会において定着してきたこと即ち国際慣習法が成立したことの表われであると解するのが自然である。

なお、控訴人は政治犯罪人不引渡の原則が規範性を有するとしても、それは逃亡犯罪人引渡条約に政治犯罪人不引渡の規定がなくても、条約上の義務違反にならない、あるいは条約のない場合には国際礼譲に反しないという内容のものであるにすぎないとも考えられると主張するが、政治犯罪人を引渡さないことが、条約上に不引渡の規定がなくても条約上の引渡義務違反とはならず、条約なき場合に逃亡犯罪人引渡しの国際礼譲に反しないとされる所以は、正に政治犯罪人は引渡すべきでないとする規範意識が国際社会に存在するからに外ならない。即ち条約上の引渡義務等を明文の規定なくして否定できるということは、逆に不引渡の義務の存在を裏書きするものに外ならないのである。

(三) さらに控訴人は、政治犯罪人不引渡の原則は、少くともその成立当初においては、国の政治的便宜を押えて不引渡の義務を課するものではなく、むしろ、人道主義と共に、政治犯罪人を保護することが自国に有利であるという政治的便宜が不引渡しの慣行の形成をもたらしたのであり、この点に国が人権を尊重すべきことが、未だ一般的な国際法となるに至つていないことを考え併せると、右原則は政治的便宜を押えてまで不引渡しを義務付けるものに変つていると解することはできないと主張する。

確かに政治犯罪人不引渡しの原則の形成途上において、国の政治的便宜という問題が、それを法的な原則とすることのブレーキとなつたことはあろう。

しかしながら原判決判示のとおり、道義的社会的な非難を伴わない純粋な政治犯罪については、むしろ政治的処罰のために政治的便宜によつて引渡されることがあつてはならないという規範意識が、人道主義のみならず、政治思想の基礎の上に、ここ一世紀ほどの間に固まつてきているのであつて、政治犯罪人不引渡しの原則が国際社会における共通の政治思想として、政治的便宜を押えるに至つているのである。

のみならず、戦後「国際連合憲章」が制定され、ついで「人権に関する世界宣言」が採択され、さらにはこれに法的拘束力を付与した「人権規約」が制定されて、国家は内外人を問わず、人権を尊重すべきであるということが強調されるに至つて、国際法上も、人権の尊重に重点がおかれるようになり、特に「人権に関する世界宣言」の一四条一項が「何人も他国において迫害からの保護を求め、かつこれを享有する」権利を有すると規定するに至つたこともあつて、人権尊重の立場が政治的便宜の考慮を押えて政治犯罪人の不引渡しを法的な「原則」にまで高めるに至つたとも言えるのである。

(四) 控訴人は、また政治犯罪人不引渡しの原則は逃亡犯罪人引渡しの慣例ないし礼譲の例外として認められたものだから、政治犯罪人不引渡しの原則だけを取り出して、法的義務であると考えるのは根拠に乏しいと主張する。

その言わんとするところ、必ずしも明らかではないが、不引渡の原則は、引渡しの慣例ないし礼譲の例外としてのみならず、条約上の引渡し義務の例外としても、ほとんど例外なく認められており、「引渡し」が慣例ないし礼譲に止まり未だ「引渡しの原則」なるものはないのに対して「不引渡し」については「原則」として、とらえられてきたということを考えると、「不引渡しの原則」は引渡しの慣例等の単なる例外にすぎないとする控訴人の主張が誤りであることは明らかであろう。

(五) 控訴人は原判決が「どうみても政治犯罪であるという厳格に純粋な政治犯罪に当たるもの」を確定することはさして困難ではないとしているのに対し、純粋の政治犯罪についても、その意義は複雑多難で未だ一致した解釈は見出されていないと論議する。

しかしながら「政治犯罪」という概念は、我国における実定法である「逃亡犯罪人引渡法」においても、なんら定義や限定を加えることなく引渡しに関する制限を規定するものとして使用されているほどのものであつて、狭義の政治犯罪人についてまで慣習法の成立を否定に導くほど不確定なものでは決してない。控訴人も右実定法上の「政治犯罪」なる概念を多義的、不確定なものとして右実定法上の不引渡し義務の法規範性を否定することまではしないであろう。

(六) さらに控訴人は、国際慣習法としての政治犯罪人不引渡しの原則の適用を受けるには政治犯罪処罰のための引渡し請求があるか、有罪判決を受けたか、起訴されるか、逮捕状が出ている等請求国によつて処罰のための行為が行なわれているという厳格な要件が必要であるのにかかわらず、原判決は、何らの根拠なくして「これと同視しうる程度に処罰の確実性があると認められうる事情があれば足りる」と解していると論難する。

しかしながら、起訴ないし逮捕状の発付等を要件とする趣旨は、政治犯としての処罰の客観的確実性を要件とするところにあるのだから、原判決が「被請求国において、客観的にこれらと同視しうる程度に処罰の確実性があると認めうる事情がある」場合も不引渡しの原則の適用対象となると判示したことは、根拠のあることであり、むしろ政治犯罪処罰のための引渡請求や起訴や逮捕状の発付の事実等という形式的事実を絶対的要件とすることは、逮捕状等によらずして、人身を拘束したり起訴や公開の裁判という手続によらずに秘密裡に政治犯を処罰する非民主的国家に対し、政治犯罪人を引渡すことは全て許されるという結果を生むこととなり、極めて不合理なのである。

かかる非民主的国家への政治犯罪人の引渡をチェックするには原判決の前記判示のごとく政治犯罪人の要件を実質的に考えることが必要なのである。

(七) 以上要するに、原判決が少くとも純粋な政治犯罪について、手続的には請求国からの政治犯罪処罰のための引渡請求があるか、政治犯罪について有罪判決を受けるか、または起訴されるか逮捕状がでているか、少くとも被請求国において客観的にこれらと同視しうる程度に処罰の確実性があると認めうる事情がある場合には、当該政治犯罪人を引渡してはならないという国際慣習法が成立していると判断した点については、正当というべきであつて、控訴人の主張するが如き誤りはないと言わなければならない。

二、(原判決は政治犯罪人不引渡しの原則の解釈適用を誤つているとの控訴人の主張について)

(一) 控訴人は、政治犯罪人不引渡しの原則が国際慣習法であるとしても、それは現実の慣行からして「政治犯罪処罰のため」の「本国からの要求」に対して政治犯罪処罰を免れるために「逃亡した者」を引渡してはならないという内容のものに止まるものであると主張する。

しかしながら、政治犯罪人不引渡しの原則が一般犯罪人の引渡、不引渡は自由という原則の中で、その例外として法規範性を取得した実質的根拠は、人道主義ないし人権の尊重にあるのだから、「不引渡しの原則」の法規範としての中心は「政治犯罪人を迫害の待つ国に引渡すことは許されない」という点に求めうるべきであつて、本国から「引渡しの要求」があつたから、あるいはそれが政治犯罪処罰を免れるため「逃亡した者」であるから引渡すべきではないというものでは決してないのである。世界の文明国の多数締結している難民の地位に関する条約三二条一項は、「締結国はいかなる方法によつても、難民をその人種、宗教、特定の社会的団体への所属若しくは政治的思想のゆえにその者の生命又は自由が脅される地域の国境に追放し若しくは送還しないものとする」と明記しており、引渡要求の有無などは問題にしていない。

(二) 控訴人は政治犯不引渡しの原則は「逃亡」犯罪人不引渡しに関する原則であるとするが、逃亡犯罪人の引渡しに関する条約ないし国内法における犯罪人引渡の場合についても、引渡犯罪から「国外犯」を除外することなく、控訴人のいう「逃亡」犯罪人でなくても引渡義務を負つているのであるから(我国の逃亡犯罪人引渡法参照)このことからも政治犯罪人不引渡しの義務は、当該政治犯罪人が当該政治犯罪を本国内において犯し、逃亡してきた者か、他の国において行なつた者であるのかを問わずに負うものと解すべきである。前述の「難民の地位に関する条約」において保護されるべき難民を同条約一条二項は定義して「人種、宗教、国籍、特定社会団体への所属、若しくは政治的意見の理由によつて迫害を受ける明確な惧れがあるために国籍国外にある者で自国の保護を受けることができず、又は右のような惧れのため自国の保護をうけることを望まないものとしている」

要するに不引渡の原則は本国において政治犯罪を犯した者に限つて適用されるとする理由は少しもないのである。

(三) また控訴人の主張のように不引渡の原則の手続的要件として本国が政治犯罪処罰のために引渡しを求めていることが必要だとすれば、実質的には政治犯処罰を目的にしていても、他の理由を建前として引渡しを要求する限り、実際上引渡が許されることとなり、不引渡の原則は有名無実のものとなるから、この手続的要件を実質化して、原判決のように本国における政治犯罪処罰の客観的確実性に求めることは、極めて正当なことであつて不引渡しの原則の本来の趣旨に合致するものではあれ、決してそれから逸脱するものではない。

(四) なお控訴人は、原判決が不引渡しの原則を外国人の追放の場合にまで拡張していると非難するが、原判決は、追放が実質において引渡しである場合には不引渡しの原則が適用されるとしているに止まり、一般的に追放にも適用があるとしているものではないことは明らかであり、この点においても、原判決は正当であるといわなければならない。

三、(柳文卿は政治犯罪人不引渡しの原則にいう政治犯罪人である)

(一) 控訴人は、柳文卿が原判決の挙示するような政治活動を行なつたとしても、未だ原判決判示のように懲治叛乱条例二条一項、中華民国刑法一〇〇条一項にいう「国憲を変更し、政府を顛覆するため『実行に着手した者』には該当しないと主張する。

しかしながら原判決が認定した台湾の政治的、社会的状況、および政治犯処罰の実情、特に処罰の具体的ケースからして明らかなように、蒋介石政権下の台湾においては、独裁的な専制政治が支配して、民主々義の基本原理が否定されており、特に特務機関による政治犯罪人の取締り、処罰が秘密裡に行われ、人権侵害がはなはだしく、政治犯の処罰は過酷であつて、しかも手続的保障に欠けており、懲治叛乱条例等の治安法令は、その構成要件の曖昧さのため極めて拡張され、かつ恣意的に解釈運用されているのであつて、このような台湾における政治犯取締り体制と処罰の実情に柳の属していた台湾青年独立連盟の目的、性質と、柳の具体的な台湾独立運動に照すと、「実行の着手」なる概念が容易に不当に拡張解釈され、柳の右運動は、刑法一〇〇条一項懲治叛乱条例二条一項に該当するものとして処罰を受けることは明らかである(特に劉佳欽、顔尹事件および陳玉璽事件の起訴状の内容と求刑を参照(甲第一八号証および甲第一九号証))

仮に柳の行為が懲治叛乱条例二条一項に該当しないとしても、叛乱組織または集会に参加した者として、同条例五条に該当し重刑に処せられることは、最近の彭明敏教授(台湾独立運動家)の国外脱出及びこれに対する国府の厳罰命令によつても明らかである。

従つて、柳が純粋な政治犯として処罰されることは確実であるといわなければならない。なお、このことは一介の台湾青年にすぎない柳の送還に際し、台北空港に駐日国府大使が出迎えていたことからも窺われる。

(二) 控訴人は、中華民国大使館の公式言明からして、処罰を受けないことは明らかであつたとし、実際にも送還後は平穏に生活しているから、重刑に処せられることが確実であるとした原判決の認定は全くの杞憂にすぎなかつたと主張する。

柳は現在に至るまで刑事的処罰はされていないようである。しかしそれは我国世論の入管当局の措置に対する厳しい批判と、本件訴訟の提起があつたため、訴訟が終了しそのほとぼりがさめるまで処罰を見合せているのにすぎず、柳は政府の厳重な監督下にあり、決して自由な身ではないのである。

この点については、原審において被控訴人が詳細に述べたところであるが、要するに、熱心な台湾独立運動家であつた柳から突然変異ともいうべき手紙が台湾の大変な田舎から二度にわたつて原審裁判長宛に来たり(乙第五号証、第六号証)、原審裁判所の二回にわたる召換にもかかわらず、そして日本側には柳の来日について何の支障もなかつたのにかかわらず、経済的には十分来日が可能な柳が遂に当公廷に現われなかつたことこそ、現在の柳の状態を端的に表わしているものである。

(三) なお控訴人は、中華民国大使館の公式言明によつて、処罰を受けないことは明らかにされていたとするが、客観的に政治犯に迫害を加えていると疑われる国の大使館の言明を信ずるほど我々は愚かではない。このことは、ハンガリーのナジ首相に関する歴史的事例に照してみれば、そのような公式の言明が、柳の安全を真実保証したものとは到底思われないのである。

四、(本件退去強制処分は実質において政治犯罪人の引渡しである)

控訴人は、柳に対する本件退去強制処分は、犯罪人の引渡しではない旨縷々主張する。

確かに、犯罪人の引渡しと、退去強制令書の執行とは、法律上は概念を異にする。しかしながら、退去強制令書の執行は送還先に送還してなされたものであるから、その実質は引渡しとなんら異らず、犯罪人の引渡しの方法として退去強制を行うこともありうるのであつて、法律上概念が別であるからといつて、両者が全く無関係であると言うことはできないのである。

国際法学者フォシーユの言葉を借りれば、追放は「偽装された犯罪人引渡」になりうるのである。

本件についてみれば、本件退去強制処分は正に「偽装された政治犯罪人の引渡」なのである。

要するに「政治犯罪人不引渡の原則」は、政治的理由により迫害が加えられるおそれが客観的に存する国にその者を送り返さないということであつて、たとえ引渡しの手続が、退去強制の形式をとつていようともその実質が政治犯罪人の引渡しである以上、右原則に違反するといわざるをえない。

五、(本件退去強制処分は逃亡犯罪人引渡法三条一、二号に違反する)

(一) 控訴人は、昭和四二年秋、我国の法務大臣、入国管理局長らが台湾を訪問した際、右局長が国民政府の要職者に対して、刑事犯罪人の引取り方を要求したところ、逆に我国で台湾独立運動を行つている者の強制送還を要求され、局長はその要求を拒否できずに受け容れたとする原判決の認定に対し、右事実認定は証拠の取捨選択を誤り、かつ当該入国管理局長である証人中川進の証言の真意を理解しない誤つた判断に基くものであると主張する。

しかしながら、証人中川進の証言によると、国民政府の要職者に対し、日本にいる台湾人の刑事犯の引取りを要請したところその要職者より「その他の不法在留者についても考慮してもらいたい」と言われたことは明らかである。そして、この「その他のもの」というのが何をさしているかについて、証人中川は「もちろん、第一次的には、さきほどおつしやいましたいわゆる台湾独立運動などをやつているものもさしておるかと思」い「もちろん向こうの意図するところ、あるいは私の推測でございますから、台湾運動者のことと思いました」と証言しており、その意味するところが台湾独立運動家などの政治犯をさすものであるということを以心伝心に理解したというのである。

そして、同証言によると、帰国後、在日国府大使館と接触をしている送還実施担当課長などの話を聞いたところ、国府側の刑事犯の引取りをスムースにするためには、政治犯を送還することが必要である旨を確認したというのである。

とすれば、柳の本件強制送還は、このような外交的配慮の下になされたものであり、国民政府の右のような引渡し要求は、正規の外交機関を通しての「引渡の請求」ではないが、その実質においては、まさに「引渡し請求」というべきものであつて、入管当局も刑事犯罪の引取りをスムースにするため、国府からの右要求に応じ柳を送還したものであることは明らかであるといわなければならない。殊に前述の如く、柳の送還確認のため台北空港にわざわざ駐日大使が出迎えている事実こそその間の事情を物語つて余りある。

(二) 以上のような事実関係からすると、要するに柳文卿に対する本件退去強制処分は、国民政府からの政治犯罪人引渡要求に対する応諾としてなされたものであつて、その実質において、逃亡犯罪人引渡法二条一、二号の少くとも趣旨には反するものであるといわなければならない。

(三) 控訴人は、この点について、柳は中華民国においてなんら犯罪を犯しておらず、従つて同人に対する刑事訴追がなされていないばかりか捜査も開始されていないのであり、本国から柳の引渡しを求めてきた事実も存しないから、同法二条一、二号の要件を欠き同法違反の問題は生じない旨主張する。

しかし、逃亡犯罪人引渡法三条一、二号に規定する「政治犯罪人不引渡しの原則」の適用を受ける政治犯罪人であるためには、前述したとおり、本国で犯罪を犯したということは要件ではないのに対し柳が日本国内でなした台湾独立運動が中華民国において懲治叛乱条例に違反することはこれまた前述のとおり明らかで、右条例違反の国外犯として柳が台湾において処罰されるであろうことは、劉・顔の事件や陳玉璽の事例に照しても確実である。

さらに引渡し要求の点についても、前述のとおり本国の国民政府が台湾独立運動家の引渡しを要求してきたことは事実であり、これに応じる趣旨で柳を送還したのでもあるから、台湾独立運動家の一人である柳についても引渡し要求があつたと見るべきであることは当然である。

そして、逃亡犯罪人引渡法二条一、二号の規定の趣旨は政治犯罪人は引渡し要求があつた場合でも引渡してはならないというところにあり、同法違反の問題は、この不引渡しの原則に反したか否かにあるのであるから、当該政治犯罪人が「請求国の刑事に関する手続が行われた者」であるか否かは、引渡し義務を負う場合の要件にすぎず、実質的に政治犯としての処罰が確実である限り、同法の二条一、二号に規定する不引渡の義務の要件ではないと解すべきである。

とすれば、本件退去強制処分は同法二条一、二号自体に違反する違法な処分であるといわなければならない。

(四) さらに控訴人は、柳文卿に対しては逃亡犯罪人引渡法にいう引渡し請求は勿論なかつたのであるから、逃亡犯罪人引渡法違反の問題は全く生じないと主張する。

しかしながら、控訴人が縷述する同法上の規定に従つた引渡手続は引渡を義務づける際の要件ではあるけれども、不引渡し義務を負う場合の要件ではない。けだし同法の規定に従つて、引渡し請求をすれば、引渡してはならない義務を負うのに対し、規定に従わずに引渡し請求をなした場合には不引渡しの義務を負わず、要求に従つて引渡したとしても、同法違反の問題は生じないというのは不合理であるからである。右の手続規定は要するに引渡請求のあつた「場合」の手続を定めたものであつて、その手続が行われなかつたからといつて、逆に実体規定である「政治犯罪人」不引渡の原則に反しないなどということにならないことは論理的に明らかである。

従つて、実質上、政治犯罪人について引渡し要求がなされ、これに対し、実質上その引渡しがなされるとすれば、同法による手続があつたか否かに拘らず逃亡犯罪人引渡法二条一、二号に違反する行為と言わなければならない。

第二、本件退去強制処分に関する故意若しくは重大な過失について

一、控訴人は本件強制送還の手続は、柳の裁判を受ける権利を侵害する意図の下になされたのではなく、同人の生命、身体の安全をはかるため、やむをえずとられたものであると主張する。

しかしながら、控訴人も自ら認めるところの、収容期間をできる限り短かくして送還するという本件送還の方法は、控訴人の弁解にもかかわらず、柳の裁判を回避するために行なわれた違法なものであつて、同人の生命、身体の安全をはかるためにやむなくとられたものでは決してないのである。

この点の主張について被控訴人は原審において詳しく述べているが、要するに、入管当局においては柳からの裁判提起を予期していたことが当時の警備課長であつた証人坂上吉夫の「今回も執行停止が出るかもしれんということは考えに入つております」との証言等から十分認められることと客観的にみても結果的に裁判を受ける時間的余裕を与えずに極めて短時間のうちに収容して送還するという異例の方法がとられていることからしても入国管理局担当者の故意ないし重大な過失の存在が十分窺われるが、なによりも中川証人が台湾青年独立連盟の委員長辜寛敏に語つた張・林のときは執行停止をとられてしてやられたと局内ではいつているから今回はその余裕を与えない」という言葉こそ、入管当局の真意を表わすものである。それであるからこそ、辜委員長の一日でも待つて欲しいとの懇願も無視し、さらには裁判所に対し執行停止の申立てをなした旨の知らせを受けながらこれをも無視して退去強制令書の執行を強行したのである。

もし、柳の生命の安全を与えていたというのなら、台湾へ送還されれば、極刑に処せられると主張して本邦における在留を懇願していた柳のその言い分を何故に裁判所において聞こうとしなかつたのだろうか。入管当局が考えていたのは一夜にして送還すれば裁判にもならず、デモや座り込みの対象にもならず、都合がいいという「行政の便宜」にすぎないのであろう。

二、控訴人はさらに、柳は本件処分に関し、訴訟を提起する意思を有せず、現実に訴訟を提起しなかつたのであるから、本件執行により裁判所の救済を受ける機会を奪つたことにはならないと主張する。

(一) しかしながら控訴人がその主張の根拠とする柳の声明書や杉本裁判長宛の書簡等については前述したようにそれまでの柳からすれば、突然変更ともいうべきものであり、しかも杉本裁判長の名前等、台湾でしかも田舎におつて平穏に暮していれば知ることのできない事柄が書簡に書載されてくることからすれば、むしろ逆に、その書簡等から柳の真意を離れた作意を推認することの方が自然なのであつてこれらの声明書、書簡は柳の真意に出たものではないというべきである。

(二) 控訴人は柳が収容されてから羽田で航空機に搭乗するまでの間一度も訴提起等に関して申し述べたことがないことは柳が訴提起の意思を有していなかつたことを雄弁に物語るものであるとしている。

しかし柳は前回の林・張両名の強制送還に際し、他の盟員と共に万一の際は裁判手続など一切を辜委員長に一任していたことでもあり、突然権力によつて人身の自由を奪われ、死の恐怖の待つ台湾に送られることとなつた柳が、一人でしかも短時間のうちにあらためて訴訟の具体的手続などを係員にいうはずはない。

しかも入管当局は辜委員長の面会申出も受付けず、柳一人を拘禁状態におき、そのまま強制送還したのであつて、その間柳が訴訟のことを口にしなかつたなどと今になつて主張するが如きは、厚顔の極みという他はない。

(三) また控訴人は柳文卿が事前に訴訟提起を依頼していたとすれば、当然自書した委任状を用意する筈であると主張するが、手続的なことを辜寛敏に任せる旨決定したのであるから柳を含む連盟員が自署を考えなかつたのはむしろ自然であつて、このような署名代行は法律実務上ままあることなのである。

なお控訴人が指摘するように張・林の両者が当初委任したの確かに弁護士小田成光外三名であるが、その後間もなく昭和四二年一〇月頃より弁護士大野正男等においてそれを引継いで受任し、本件当時は弁護士大野等が台湾青年独立連盟員の送還・収容問題の相談にのつていつたものであり、このことは、原判決の結論を何ら左右するものではない。

(四) 最後に控訴人は、柳が訴を提起し、執行停止の申立をしたものとしても、送還完了までに裁判所の決定がなかつたものであるから本件執行は違法ではないと主張する。

しかしながら、これは正に論理が逆立ちしているのであつて、入管当局には裁判所の少くとも執行停止の結論が出るまで、執行を差控える義務があるのである。

第三、損害の発生について

一、控訴人は、柳はそもそも不法残留であるから、被控訴人らが我国において柳と生活を共にすることはもともと許されない状態にあつたのであるから、それが本件処分により現実化しても損害が発生したとは言えない旨主張する。

しかしながら柳はそもそも不法残留自身を争つて、裁判所に訴を提起したのであり、その結果によつては一生ないし長期間にわたり被控訴人らと生活を共にできたのであつて、ほとんど同じ事案である林・張のケースにおいて裁判所が退去強制令書の執行停止決定をなしていることを考えれば、柳の場合も執行停止決定によつて少くとも本案判決確定に至るまで日本に留まり、被控訴人らと生活することができたというべきであつて、その生活を違法な本件処分により侵害された被控訴人らの精神的苦痛は極めて大きいと言わざるをえず、これはまた損害として認められる。

二控訴人は被控訴人らが台湾へ赴き柳と生活することも十分できるのであるから損害は発生しないと主張する。

しかしながら、柳自身台湾において決して平和に生活しているわけではなく、むしろ前記のとおり社会的に囚われの身であり、迫害の脅威の中におかれているのであつて、夫に対して有形無形の政治的迫害が加えられている台湾で、その妻子である被控訴人らに生活を共にせよということ自体非人間的生活を強いるものにほかならないのであつて、許されないことである。台湾においては反国府の信条の持主であり台湾独立の盟員である柳およびその妻子である被控訴人らにとつては平和な生活はありえないのである。

三、被控訴人らの慰藉料請求権の根拠については、被控訴人は控訴人国の本件違法処分により訴外柳文卿との妻ないし子としての共同生活を破壊され、しかも柳本人はその生命身体の安全さえ確保され得ない現況にあるので被控訴人らの心痛は筆舌につくし難い程甚大である。

このように夫ないし父が生命侵害にも比すべき重大な精神上の苦痛を蒙つた場合には、妻ないし子は民法第七一一条の準用又は同法第七〇九条、七一〇条により自己の権利として加害者(違法処分者)に対し慰藉料を請求しうるものと解すべきである。(最高裁判所昭和三三年八月五日判決―民集一二巻一二号一九〇一頁、また未認知の子と父との間の慰藉料請求権を認めた判例として東京高等裁判所昭和三六年七月五日判決―高民集一四巻五号三〇九頁)

以上要するに、原判決の判断には控訴人主張の如き誤りはないのであるから、本件控訴は速やかに棄却さるべきである。

控訴人の主張(乙)

第一柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行の適法性

一 政治犯罪人不引渡の原則と国際慣習法の成否

原判決は、政治犯罪人を引渡してはならないという国際慣習法が確立されていると認定している。控訴人は、原審で主張したように、かかる国際慣習法は確立されていないと考えるがさらに原判決の認定に対して次のように反論する。

1 国際慣習法が成立するためには、具体的な国際慣行が確立され、それに加えてその慣行が法的拘束力を有するものとして国際社会で認められていることが必要である。

ところで、現実の慣行として原判決が認定しているところは、一九世紀末頃以降逃亡犯罪人の引渡しに関する条約(二国間の)では、ただ一つの例外(一八八八年のロシア、スペイン間の条約)を除くすべての条約で、引渡犯罪に政治犯罪を含まず、かつ政治犯罪人は引渡さない旨の規定をおいていること、政治犯罪人不引渡しを規定する条約の大部分は義務的命令的な形で規定し、ごく少教のものが権能的許容的な形で規定し、諸国の国内法でも義務的命令的な形で政治犯罪人の不引渡しが定められている場合が多いこと、憲法上政治犯罪人不引渡しの規定を持つ国が多くなつてきていること、ここ一世紀来具体的実行においても政治犯罪人の引渡しを拒絶していることの四点である。

問題は、以上のような慣行に止まらず、法的拘束力を有する国際慣習法となつているかどうか、いいかえれば、政治犯罪人不引渡しを国家の義務とする国際慣習法となつているかどうかにある。

この点の認定の根拠として、原判決は、多くの条約や憲法その他の国内法令で、政治犯罪人不引渡しを義務的命令的な形で規定していることを挙げている。この考え方は、政治犯罪人不引渡しが単なる国家の権能の発動にすぎないならば、国家に不引渡しの義務を設ける必要ないしは意味がないというものであろう。しかしながら、一般に憲法その他の国内法令において国際法上は国家の義務ではないことを国家の義務として規定することはままあることであつて、国内法令の規定から直ちに国際法の成立を認めることはできない。したがつて、重要なのは条約の定め方である。しかし、二国間の条約で一方の当事国の負う義務は、他の当事国に対するものであるが、一方の当事国からなされる逃亡犯罪人の引渡要求に応じないという義務を、引渡しを要求される国家で要求する国家に対して負うというのは無意味である。したがつて、二国間の条約で政治犯罪人不引渡しを義務的な形で定めてあつても、その意味は不引渡しの義務を定めたものと解することはできない。この点について、当該犯罪人が引渡し要求の当事国の国民ではなく、第三国が外交保護権を有する場合もあり、不引渡しの義務を定めることは無意味ではないとの見解がある。しかし、二国間の条約で政治犯罪人不引渡し義務を定めるのが無意味であるというのは、引渡しを要求する国に対してその要求を拒否する義務を負うというのは論理的に無意味であるというのであつて、外交保護権を有するということによるものではないから、このような見解は誤つている。以上の次第で、二国間の条約において不引渡しが義務的命令的な形で定められているからといつて、条約上不引渡しの義務が定められていると解しこれを根拠として不引渡しを義務とする国際慣習法が成立していると認定することはできない。二国間の条約で政治犯罪人不引渡しについて義務的命令的な形で規定されていても二国間の条約という性質上それは政治犯罪人が引渡しの対象にならないことを明確にし、強調した趣旨のものにすぎないと解するのが相当であろう。

さらに、少数ではあるにせよ許容的な形で規定した条約のあることは不引渡しが一般的な義務であるという慣習法の成立を妨げるものである、許容的な規定の下では引渡しをすることも可能なのであつて、そうなれば不引渡しが義務であることと矛盾する、逃亡犯罪人引渡条約で政治犯罪人不引渡しを規定するのは、引渡義務の対象から政治犯罪人を除くためであるから、許容的な形での規定のあることが不引渡しの義務があるとの認定の妨げにならないという議論があるが、もしこれが正しいならば、同様に義務的命令的な形での規定のあることも不引渡しの義務の存在を認定する根拠にならないということになろう。

以上のように、政治犯罪人不引渡しに関する規定が大部分の条約や国内立法で義務的命令的な形で規定されているということは、不引渡しを義務付ける国際慣習法の成立を認定する根拠にならないと考える。

政治犯罪人不引渡しが「原則」と称されていることも、不引渡しを義務とする国際慣習法の成立の根拠にはならない。すなわち、原則と称されていることから、当然に規範性を有することになるかどうかについても問題があろうが、かりに政治犯罪人不引渡しの原則が規範性を有するとしても、政治犯罪人の不引渡しが逃亡犯罪人引渡条約のある場合とは、政治犯罪人不引渡しの規定がなくても、条約上の義務違反にならない、あるいは条約のない場合には国際礼譲に反しないという内容の慣習法であると考えることも可能であつて、政治犯罪人不引渡しが「原則」と称されていることは不引渡しが義務となつていると認定する根拠にはならない。

3 原判決は、国際法が人権の尊重に重点を置くようになるに従い、どうみても純粋な政治犯罪とみえるものについては、人権の尊重の立場から、国家は政治的便宜の考慮を押えて、不引渡しが「原則」として法的意味をもつことになつた、と解するのは根拠のあることであるという。しかし、歴史的に見るならば、政治犯罪人不引渡しの慣行の成立には、単なる人道上の立場だけではなく、逃亡政治犯罪人を保護することが自国の政治的立場上有利であるという配慮が強く働いていたことは否定し難いところである。いいかえれば、政治的便宜と人道主義の二つの政治犯罪人不引渡しの慣行が国際社会で行なわれるようになつた実質的理由であると考えられる。このような歴史的事情から見ると、政治犯罪人不引渡しの原則は、すくなくとも、その成立の当初には国の政治的便宜を押えて不引渡しの義務を課するものではなかつたと解されよう。ただ、その後国際社会において人権尊重を重要視する傾向が強まつて来てはいるけれども、国が人権を尊重すべきことが一般的な国際法となるまでに至つていないことから考えて見れば、政治犯罪人不引渡しの原則が、たとえどうみても純粋な政治犯罪とみえるもの(このようなものがあるのかどうかも次に述べるように問題であるが)についてであつても、政治的便宜を押えてまで不引渡しを義務付けるものに変つていると解する根拠は乏しいと考えられる。

4 歴史的にみるならば、元来、国家は逃亡犯罪人を引渡し又は引渡さない自由を持つているのであるが、逃亡犯罪人を引渡すことが国際間の慣例ないし礼譲となり、政治犯罪人不引渡しはこの慣例ないし礼譲の例外として認められるに至つたものである。

このような政治犯罪人不引渡しの原則の性格からみるときは、政治犯罪人不引渡しの原則だけを取り出して不引渡しが法的に義務付けられているという意味での国際慣習法になつていると考えるのは甚だ根拠に乏しいものである。

5 原判決は、政治犯罪の概念が多義的、不確定的であることが国際慣習法の成立を妨げるかという点について、政治犯罪人不引渡しの原則が「どうみても政治犯罪であるという厳格に純粋な政治犯罪に当るものに限られ、これを確定することはさして困難ではない」というが相対的政治犯罪についてはもとより純粋の政治犯罪についてもその意義は複雑多義でいまだ一致した解釈は見出されていないのが現状であつて、原判決の見解は首肯し難い。

6 さらに、政治犯罪人は、手続的に請求国から政治犯罪処罰のための引渡請求があるか、或いは政治犯罪について有罪判決を受けるか、または起訴されるか、逮捕状が出ている等、請求国によつて当該犯罪人に対する処罰のための行為が行なわれていることが必要とされていて、かかる要件は国際慣習法の成立の認定にあたつては厳格に解すべきであるにもかかわらず、原判決は、これと同視しうる程度に処罰の確実性があると認められうる事情があれば足りると解しているが、全く根拠のない見解であつて誤つている。

二、原判決は政治犯罪人不引渡の原則の解釈適用を誤つている。

1 右に述べたように、原判決認定の政治犯罪人不引渡しの原則は国際慣習法ではないと解すべきであるが、かりに国際慣習法たる性質を有するものがあるとしても、その内容は現実に国際社会で行なわれている慣行、すなわち前述したように本国から逃亡した犯罪人について本国から処罰の引渡要求があつた場合に、逃亡先の国家がその者の犯罪を政治犯罪と認めれば引渡さないという慣行が国際法上の義務になつているというに止まるべきものである。一般に国際慣習法は現実の慣習の範囲内でのみ成立すべく、特に国内社会と異なつて法的な統制力の弱い国際社会においては、この点が厳格に解釈認定されなければならない。

しかるに原判決は、なんら現実の慣行に基づくことなく、この原則を不当に拡く認定したもので誤つている、

その詳細は次のとおりである。

(一) 政治犯罪人不引渡しの原則は本国からの要求に対し犯罪処罰のために引渡す場合にのみ関するものである。しかるに、原判決はこれを外国人の追放の場合にまで拡張するという誤りを犯している。

(二) 政治犯罪人不引渡しの原則は、「逃亡」犯罪人引渡しについての原則であり、右の政治犯罪人は、政治犯罪処罰を免れるために「逃亡した者」に限られる。しかるに原判決は、この要件を無視している。

(三) 政治犯罪人不引渡しの原則の手続的要件(形式的要件)は本国が政治犯罪処罰のために引渡しを求めているということである。しかるに原判決は、本国からの引渡し要求がなくても本国における政治犯罪による処罰が客観的に確実であることをもつてその要件を充足すると解している。すなわち、「政治犯罪処罰のための不引渡し請求」を「本国における政治犯罪処罰の客観的確実性」に置き替えてしまうという誤りをおかしている。

(四) 以上要する原判決は、政治犯罪人不引渡しの原則が一八世紀以来の逃亡犯罪人引渡しという特殊な場合の中で生成されて来たものであるという歴史的事実、ことに、この原則生成の最も重要な根拠が、ここ一世紀の逃亡犯罪人引渡しに関する多くの条約の規定によることを全く無視し、不当に拡大するものというべきである。

2 以上述べたように、いわゆる政治犯罪人不引渡しの原則が確立された国際慣習法として認められるためには厳格な要件が必要であり、この原則の適用を受ける者は、本国において純粋の政治犯罪を犯した者に限られ、しかもそのために有罪判決を受け、または訴追されているか、あるいは少くとも捜査が開始され、これを免れるために逃亡して来たもので、しかも本国から引渡しを要求された場合に限ると解される。

三柳文卿は政治犯罪人不引渡しの原則にいう政治犯罪人に該当しない。

柳文卿は昭和三七年一一月留学生として中華民国(台湾)より本邦に入国する以前に本国において政治犯罪を犯したとして本国政府より引渡しを求め、あるいは本国において同人に対する訴追がなされ、あるいは捜査が開始されていたものではない。

原判決が、柳文卿をもつて政治犯罪人であると認定したのは、同人が昭和三八年台湾青年独立連盟に加入し、昭和四〇年には同連盟の中央委員兼情報部長のホストにつき、台湾独立と蒋介石政権の圧制を訴える政治運動に参加したこと、その具体的行動として同連盟が度々行なつたデモ行進やハンストに参加したことをあげ、これをもつて同人の行為や中華民国の「懲治叛乱条例二条一項に該当し(中華民国刑法一〇〇条一項所定の内乱罪に該当する)重刑に処せられるべきものと認めるを相当」とするということによるものである。しかし、前記懲治叛乱条例二条一項によれば「刑法第一〇〇条第一項、第一〇一条第一項、第一〇三条第一項、第一〇四条第一項の罪を犯した者は死刑に処する」とあり、さらに、原判決の引用する中華民国刑法一〇〇条一項によれば「国体の破壊を意図し、国土を窃取して根拠地となし、又は非合法の方法をもつて国憲を変更し、政府を顛覆するため実行に着手した者は七年以上の有期徒刑に処し、首謀者は、無期徒刑に処する」と規定している。これらの条文の文言よりすれば、かりに柳文卿がわが国において原判決挙示のような政治的活動を行なつたとしても、いまだもつて右条文にいう「実行に着手した者」に該当しないことは明らかであるといわなければならない。

しかも、柳文卿で中華民国へ送還後日本在留中の行動のゆえに処罰を受けないことは、中華民国大使館の公式の言明によつて明らかにされていたのみならず、実際に送還された後は、本籍地において両親らとともに平穏に生活しているのである。このことから見れば柳文卿が本国送還後在日中の台湾独立運動について重刑に処せられることが確実であるとの原判決の認定が全くの杞憂にすぎなかつたことは明白というべきである。

四本件退去強制処分は「政治犯罪人不引渡しの原則」にいう引渡しとは、全く別個の処分である。

柳文卿は、わが国において不法残留したことにより退去強制令書の執行という手続によつてその本国たる中華民国に送還したものであつて、柳文卿を犯罪人として中華民国に引渡したものではない。

柳文卿が逃亡政治犯罪人不引渡しの原則の適用を受ける政治犯罪人に該当しないことはこれまで縷々述べてきたところであるが、原判決が、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行は送還先を台湾と指定した退去強制であつて形式上は本国(台湾)への引渡しそのものではないが、退去強制令書の執行は送還先に送還してなされるものであり、その実質は本国(台湾)への引渡しとなんら異なるところはない、としている。

そもそも、犯罪人引渡しというのは、犯人の行為が自国の領域内で行なわれたものでもなく犯行によつて自国の安寧秩序がみだされたというものでもなく、また、自国民の利益が害された訳でもない、つまり自国にとつて利害関係のない行為を行なつた人を、他国の刑罰権を実現させるために、わざわざ逮捕して他国に送り届けるという労をとることであり、したがつて他国に対するサービスにほかならない。これに反し、退去強制とは出入国管理令二四条各号の一に該当する外国人の本邦からの退去を強制することをいい、直接に当該外国人の身体に強制力を加えて国外に退去させるものであつて、犯罪人引渡しのごとく処罰を行なう権限を有する請求国の官憲に引渡すものではなく、この点において逃亡犯罪人の引渡しとは全く性質を異にする別個の処分である。なお、この点につき一八九二年国際法協会がジュネーブにおいて採択した「外国人の入国許可及び退去強制に関する国際規則」はその第一五条に「退去強制と犯罪人引渡とは、それぞれ別個の独立した処分である。犯罪人引渡の拒否は、退去強制権の放棄を含むものではない」(高梨正夫著、密航者法論九頁)と規定しており、国際法上においても退去強制と犯罪人引渡しは全く別個の独立した処分として明確に区別しているのである。

五柳文卿に対する退去強制令書発付処分ならびにその執行は逃亡犯罪人引渡法二条一号、二号に違反しない。

1 原判決は、柳文卿が政治犯罪人であると断定したうえ、「昭和四二年秋、わが国の法務大臣、法務省入国管理局長らが台湾を訪問した際、同局長から、台湾の国民政府の要職者に対し、従来同政府がわが国から台湾へ送還すべき刑事犯罪人の引取りを拒否していたため、その引取り方を要求したところ、同政府の要職者からわが国において台湾独立運動を行なつている者の強制送還を要求されたこと、当時、わが国の法務省入国管理局としては、国民政府から右のように刑事犯罪人の引取りを拒否されてこれら犯罪人の送還事務が困難な問題となつていた矢先でもあり、また、国民政府との友好上からも同政府要職者からの要求を拒否することができず、これを受け容れた」と認定し、このような事実認定に基づいて「柳文卿に対する上記退去強制令書発付処分ならびにその執行は、逃亡犯罪人引渡法二条一・二号にいう政治犯罪を犯した同人を、本国(台湾)政府の引渡し要求に応じて引き渡す目的をもつてなされたものであると認むべき右法条にも違反し、違法であるといわざるを得ない」と判示する。

2 しかしながら、柳文卿がいわゆる政治犯罪人に該らないこと、特に本国送還後の処罰のおそれのなかつたことについては前記詳述したとおりであるが、さらに、証人中川進の証言によれば、同証人は「台湾政府側といたしましては刑事犯の引取りは承知いたしました。しかし刑事犯のみならずその他の不法在留者についても考慮してもらいたい」「平たくとれば台湾独立運動以外の不法在留者も含むわけでございますし、先方はまた私の方からも共に台湾独立運動者というようなことばは全然出もしませんし出しもいたしません」と証言しており、原判決の認定したような、刑事犯罪を犯した被退去強制者の引取りと引き換えにいわゆる台湾独立運動者のみの引渡し要求がなされた事実は存しないのである。のみならず、同証人は、「日本政府がだれを送還するかということは自主的にこの入管令を運用するわけであるとそういうふうに申しておきました」と述べ、いわゆる台湾独立運動者も含めすべての中国人被退去強制者の送還の問題として明確に証言しているのである。したがつてこの点に関する原判決の事実認定は証拠の取捨選択を誤りかつ右証人の証言の真意を理解しない誤つた判断に基づくものといわざるを得ない。

3 次に原判決は柳文卿に対する退去強制令書発付処分ならびにその執行が逃亡犯罪人引渡法二条一・二号にいう政治犯罪を犯した同人を本国政府の引渡し要求に応じて引き渡す目的をもつてなされたと判示しているが、これは明らかに誤つている。

すなわち、逃亡犯罪人引渡法二条一号・二号には「政治犯罪」という用語が用いられているものの、同法にいう「引渡犯罪」とは、請求国からの犯罪人の引渡しの請求において当該犯罪人が犯したとする犯罪をいい(同法一条三項)、また、「逃亡犯罪人」とは、引渡犯罪について請求国の刑事に関する手続が行なわれた者をいう(同条四項)のである。

柳文卿は前記のとおり、中華民国においてなんら犯罪を犯しておらず、したがつて同人に対する刑事訴追がなされていないばかりか捜査も開始されていないのであつて、もちろん本国からわが国に対し柳文卿の引渡しを求めてきた事実も存しないのである。

また、逃亡犯罪人引渡法にいう逃亡犯罪人の引渡し請求は、請求国の外交機関からわが国の外務大臣に対してなされるのであつて、外務大臣はその請求が引渡条約に基づいて行なわれた場合には、その方式が引渡条約に適合しないと認めるとき、請求が引渡条約に基づかないで行なわれた場合には相互主義の保証がなされないときを除いて引渡請求書または外務大臣の作成した引渡しの請求があつたことを証明する書面に関係書類を添付してこれを法務大臣に送付し、法務大臣は、外務大臣からの右の書面を受け取つたときは、一応明らかに逃亡犯罪人を引き渡すことができない場合に該当するかどうか等、また、引渡しの請求が引渡条約に基づかないで行なわれた場合において逃亡犯罪人を引渡すことが不相当でないかどうか(不相当と認定する場合には外務大臣と協議を要する)を判断し、それらにあたらないと認めるときは、東京高等検察庁検事長に対し、関係書類を送付して逃亡犯罪人を引き渡すことができる場合に該当するかどうかについて東京高等裁判所に審査の請求をなすべきことを命ずるのである。

そして、審査の請求を受けた東京高等裁判所はすみやかに審査を開始し決定をするが、その決定前に当該逃亡犯罪人に対し意見を述べる機会を与えなければならないとされている。東京高等裁判所は、逃亡犯罪人を引渡すことができる場合に該当するときは、その旨の決定をするが、その決定の裁判所の謄本の送達があつたときは東京高等検察庁検事長は意見を付して関係書類とともにこれを法務大臣に提出し、法務大臣は、さらに引き渡すことが相当であるかどうかを審査し引き渡すことが相当であると認めるときは、東京高等検察庁検事長に逃亡犯罪人の引渡しを命ずる。この引渡しの命令を受けた東京高等検察庁検事長は逃亡犯罪人が拘禁されている監獄の長に対し引渡しを指揮する。

一方、法務大臣に逃亡犯罪人の受領許可状を送付し、外務大臣はこれを請求国に送付し請求国の官憲は引渡しの場所において引渡し期限内にこの受領許可状を逃亡犯罪人を拘禁している監獄の長に示して逃亡犯罪人の引渡しを求める。この引渡しの求めがあつたときは当該監獄の長は請求国の官憲に逃亡犯罪人を引き渡すのである。

以上のとおり、逃亡犯罪人引渡法に規定する手続と出入国管理令に基づく退去強制手続とは全く別個の手続であつて、柳文卿に対しては逃亡犯罪人引渡法にいう引渡し請求ももちろんなかつたものであり、出入国管理令所定の手続に従い外国人の出入国及び在留の公正な管理の目的を達成するために行なわれた本件退去強制令書発付処分ならびにその執行につき、逃亡犯罪人引渡法違反のそしりをうけるいわれは全くない。

第二柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行につき故意または重大な過失は存しない

原判決は、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行は同人がその執行停止の申立につき裁判所の判断をうるに必要な時間的余裕を与えることなく、また同人が執行停止の申立をなしたことを知りながらあえてこれを避けるためになされたものであつて、このため同人が退去強制令書発付処分の違法を裁判所に訴えその救済を受ける機会を奪つたことは法務省入国管理局担当官の故意もしくは重大な過失の責めがあると判示する。

しかし、原審においても主張したように柳文卿に対する退去強制令書の執行は、裁判所において執行停止命令がなされることを回避する意図のもとに同人の裁判を受ける権利を奪うためになされたものではない。

すなわち、法務省入国管理局としては、昭和四二年八月二五日東京入国管理事務所において、中国人張栄魁および林啓旭の両名に対し法務大臣裁決に基づき退去強制令書を発付し収容した際、両名の所属する台湾青年独立連盟員が抗議に押しかけ、同所前に座り込みハンストを実施する等同所の業務遂行を妨害し、また、同月二六日横浜入国者収容所に移送した両名もハンストを行ない身体の衰弱のため同年九月二日武蔵野日赤病院に入院せしめ、同年九月四日仮放免するのやむなきに至つたことなどの経緯もあつたので、柳文卿の生命身体の安全を図り、円滑なる送還を実施するためには種々検討した結果、収容の期間をできる限り短かくして送還することが最良の方法との結論に到達し、収容の翌日に送還する方針を決定するに至つたのである。

よつて右方針に基づいて次のような送還計画を樹立したのである。

すなわち、当時柳文卿は東京入国管理事務所主任審査官より法務大臣の裁決の告知あるまでの間仮放免を許可されており、その仮放免の条件の一つとして毎月一回二六日(当日が日曜日または祝祭日で休日である場合はその前日かまたは翌日)に東京入国管理事務所に身柄確認のため出頭義務を課せられていたのであるが、昭和四三年二月一二日になされた法務大臣の裁決をその直近の出頭日である同月二六日に告知して退去強制令書を発付し翌二七日に送還するにはそれまでに中国側との交渉する見込がなかつたのでやむなく裁決の告知および退去強制令書の発付、収容はその次の出頭日である三月二六日に、そして、送還を翌二七日に決定したもので、右決定に基づき、三月二六日午後四時柳文卿が東京入国管理事務所に出頭した際、担当官より法務大臣の異議申出が理由がないとの裁決を告知するとともに同所主任審査官の発付した退去強制令書を示して執行し、直ちに横浜入国者収容所に収容し、翌二七日午前九時四〇分羽田発CAL八〇一便(台北行)に搭乗させて送還したのである。

ところで、原判決は柳文卿に対する退去強制令書発付処分取消の訴えとその執行停止申請が昭和四三年三月二七日午前八時に東京地方裁判所になされたと認定しているが、柳文卿は本件退去強制処分に対して取消請求訴訟ならびに執行停止申請をする意思を有していなかつたし、また、現実に訴訟提起ならびに申立をしなかつたのである。このことは再三にわたる同人の声明書、杉本裁判長あての書簡により明らかであり、同人が横浜入国者収容所に収容されてから羽田において航空機に搭乗するまでの間一度も送還を忌避するような申立はもちろん訴訟提起に関して申し述べたことがなかつたことが同人が訴え提起の意思を有しなかつたことを雄弁に物語るものといえよう。原判決は、台湾青年独立連盟は昭和四二年八月同連盟員である張栄魁、林啓旭の両名が退去強制令書の発付を受けて退去強制を受けようとした際、右の弁護士(すなわち、大野正男、山川洋一郎弁護士)らに同連盟として訴訟委任し、当裁判所において同月三一日その送還部分の執行停止決定を受けている等のこともあつて同連盟において検討した結果、連盟員が退去強制処分を受けることになつた場合は弁護士大野正男同山川洋一郎らに訴訟委任をなし、その手続は同連盟委員長睾寛敏に対し個人的にもかかる緊急事態に立ち至つた場合の処置を一切委任していたと認定しているが、もし、柳文卿が事前に訴訟提起を依頼しておいたものとすれば、当然自署した委任状を用意する筈であると考えるのが自然であろう。また、原判決は前記張栄魁、林啓旭の両名が訴訟委任したのは弁護士大野正男、同山川洋一郎であるとしているが、実際に右両名の訴訟委任を受け訴訟を提起したのは弁護士小田成光、同入倉卓志、同国本明、同武田峯生の四名であつたのである。

さらに原判決は、柳文卿の自筆にかかる声明書、杉本裁判長あての書簡の記載がその真意に基づいて真実を記載したものとは認めることができないと判示しているがこれは全く誤つた判断に基づくものであつて、柳文卿が収容されてから訴訟提起に関してなんら申し述べたことがなかつたことは、証人坂上吉男の証言に照しても明らかなことである。

以上のとおり、本件退去強制令書の執行の手続は、柳文卿の裁判を受ける権利を侵害する意図のもとになされたものでなく、同人の生命身体の安全をはかるためやむをえずとられたものであり、また同人は本件処分に関して訴訟を提起する意思を有せず、現実に訴訟を提起しなかつたのであるから、本件執行により同人が裁判所に訴え、その救済を受ける機会を奪つたことにはならない。

さらに、もし、かりに同人が訴訟を提起し、執行停止の申立をしたものとしても送還完了するまでに裁判所の決定がなかつたものであり、本件退去強制令書の執行が違法とされる理由はない。

したがつて、本件退去強制令書の執行にあたり法務省入国管理局担当官において故意もしくは重大な過失が存しない。

第四被控訴人らにはなんら損害は生じていない。

柳文卿が政治犯罪人に該当せず、したがつて同人に対する退去強制令書発付処分ならびにその執行が適法であることは右に述べたとおりである。

しかるに原判決は、被控訴人らが民法七一一条にいう近親者に含まれ、柳文卿を同人に対する違法な退去強制令書の発付処分ならびにその執行によつて奪われ、同人とその妻あるいは、子として幸福な家庭生活を送れる可能性はほとんどなくなり、柳文卿が生命の侵害を受けた場合にも比肩しうべきあるいはこれに比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を被つたとしている。

被控訴人らが柳文卿の送達によつて一時本邦において生活をともにできなくなつたことは認められるが、それは柳文卿が留学生として入国を許可されたものであり、昭和四二年三月東京教育大学大学院修士課程修了により入国目的が終了し、在留期間更新申請が不許可と決定されたにかかわらず出国せず、不法残留していたもので、所詮本邦に在留することは許されず、わが国においては柳文卿と生活をともにすることはできない状態にあつたものである。

しかも、柳文卿が送還後も処刑されるおそれがないばかりか、本籍地台湾省高雄県において両親等と平和に生活しているのであり、被控訴人らにおいて柳文卿と生活をともにする意思があれば台湾に赴き生活することが十分できるのである。被控訴人河野光代が、昭和四二年六月来日した柳文卿の姉に伴われ台湾を訪れ、柳文卿の両親をはじめその親族らに会つて来た事実があるのであり、柳文卿送還後に至つて台湾を訪れることが不可能となつた事実も存しないのである。

したがつて、この点に関する原判決は事実認定を誤つており、被控訴人らに慰藉料請求権の生ずる余地はないといわなければならない。

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